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2018年8月2日

旅は徒然 epi12 一日目 きっかけ


ニューオリンズとニューヨークにジャズと入る帽子を探しに行った私でした
(旅は徒然 epi.1新たなる希望参照の事 https://goo.gl/9MsJZm
)が、ジャズは見つかったが帽子は見つからなかった私。

アメリカ大陸を横断すれば見つかるのではないかという淡い期待が日に日に濃くなっていきました。

そんな折、自動車でLAからNYCまで行かないか?と北海道原付旅に連れて行ってくれた手羽先さんが、アメリカ横断を提案してくれました。一つ返事で、行くよ。と返事した私は運転免許を持っていませんでした。

万年助手席しっかりサポートのスタイルで過ごして来た私でしたが、この辺りが年貢の納めどきかと一念発起して、自動車教習所へ。それもこれも、見つかったとはいえ、まだ見ぬジャズを求めて、まだ見ぬ大きさの帽子を求めて、弁天町にある自動車教習所へ私は旅たちます。
~自動車教習所編は割愛します~
そんなこんなでただいま関西空港 只今アメリカ時間2014年 7月12日 5:00
韓国経由でロサンゼルスへ旅立ちます



OSAKA JUMBO JET vol11に掲載


2016年4月27日

旅は徒然 epi 11.5 アメリカ横断紀行序章

ついこの前帯広での事を楽しげに書いてたのにいきなり舞台はLAに移ります。


原付で北海道を蹂躙した手羽先さん(原付 と私はアメリカ大陸を横断してやりましょうと、

レンタカーで以下の地域に参りました。

ロサンゼルス ニードルズ バトラーズ デンバー
フラッグスタッフ モエブ カンザスシティ トロイ シカゴ ケンタッキー
メンフィス ニューオーリンズ フロリダ キーウェスト マイアミ
ニューヨーク インチョン

結果的に縦横ナナメ断することに。

期間は2014年の7月10日から8月12日まで。

太平洋を横断できるほど走りました。

北海道の一週間振り返るのに一年かかったので3年くらいを目処に

完結できるよう更新していきたいと思います。

つづく。











2016年2月2日

[旅は徒然 ep 11 ] 一人旅 ヤドカリハウス 青春の輝き


行きたいところがあった。
ライダーハウス”ヤドカリの家”である。
聞くところによると日本のライダーハウス発祥の地であるとの事。
きっと愉快な旅人に出会えるに違いない。

思えば今まで北海道の地に降り立った その時から手羽先さんのサポートを受けていた私。
1人で走るには北海道の道はただただ大きかった。
世界の果てまでもしかすると一生このままなのかもしれない。
そんな妄想に取り付かれながらもひたすら西へ。

2人でゴエモン風呂を沸かした思い出などに浸りながら(三日前)
西へ、ただひたすら西へ。(来た道を引きかえしているだけ)
天候もどんどん変わっていく。北海道の天気予報は本当に当てにならなかった。

4時間くらい走っただろうか。帯広という懐かしい名前がちらほら見えてきた。
(二日前に来たばかり)

遂に帯広に到着。丁度夕日が沈む頃。

河川敷にぽつぽつと見える小さな人影。
スーパーの袋をぶら下げて自転車に乗るおばさん。
日常の風景がいやに眩しく目に映ったのを覚えている。

そんな市街地にヤドカリの家はあった。
ずーっと山、川、山、山、山。
そればかり目にしてきたであろうバイカーの心を鷲掴みするには
これ以上ないロケーション。
この時の私は人生において1、2を争う安堵感を味わったのだった。

少し前に電話でやりとりをしていたので
駐車場にてオーナーさん が出迎えてくれた。
ヤドカリオーナーは非常に旅人扱いに長けた親切で熱い人物 だった。
熱いオーナーさん の心意気で横で作業をしていた若者を紹介された。

紹介を受けた 若者はバイクで日本一周の最中らしく、
バイクの トラブルがあり、ヤドカリの家に連泊しているらしい。
わからない事があればなんでも彼に聞くといいよとオーナー。 

話をしてみると学生で、年下だったものの沢山貴重な体験談をユーモラスに語ってくれた。 
気さくで快活な若者は誰とでもすぐに仲良くなれる才能を持っている様だった。
きっと、こんな旅を続けていけば僕もその様な人生を歩めたのかもしれない。
学生の頃からこんな面白い事に出会ってしまっていたら
今とは全く違う人生を歩んでいたかもしれない。

その若者との交流をきっかけに、私もワイワイやっている輪の中に入る事ができた。
もはや住み着いている風情の長老や、徒歩とヒッチハイクで日本をまわっている若者。
”携帯電話とかチートですからね。縛りプレイですね。”
恐るべし。

宿泊者間の自然な橋渡し 簡潔で分かりやすい情報提供。
こういう気遣いがライダーハウスの独特で素敵な 雰囲気を作っていくのだろう。

1人で孤独にやっていきたい 人は最低限のコミュニケーションで利用することもできる。
皆でワイワイやりたい者通しはすぐにコミュニケーションの輪に入れる仕組みと工夫がある。
発祥の地は伊達ではなかった。

あまりにも面白トラップにばかり注目していたこれまでの北海道旅であったが、普通の視線で旅をするのも悪くないなとしみじみ感じたながら、故郷の事を思い出した。
思えば我ながら随分遠くまで来たものだ。

深い夜まで宴は続いた。

翌朝、楽器を持っている事がふいに見つかった。
即席ライブを一席設けた。
”どうして楽器を持っているってもっとはやくいわなかったんだよー”とオーナーさん

初めての体験がありすぎてその様な余裕を持ち合わせていませんでした。と弁解。

ヤドカリの家を後に札幌を目指します。
普通にいい旅夢気分。




2016年1月27日

[旅は徒然] epi10 牛

2013年8月20日
当初の予定では北海道の東の果てを目指していたが
大阪でのライブに間に合わないと判断した私は厚岸を目的地点にした。

そこで牡蠣を貪り喰って手羽先さんと別れる予定を組んだ。
釧路から厚岸への道中、旅の目的の一つであった牛の放牧に出くわした。




この自撮りを終えた後、持っていたクラリネットで牛を集める事が可能か?
という疑問を解決すべく即興ライブを開始した我々。

50頭は集まった。

だがしかし世の中はそんなに甘くはなかった。
テーマが終わりソロになると牛は散り散り方々へ駆けていった。
くやしかった。人生で1,2を争う悲壮感に襲われた。

小樽のライダーハウスではあんなに盛り上がったのに!!
牛さんとは仲良くなれないのだろうか。
もしかしてこれまでの盛り上がりも私たちに気を遣ってくれた
皆様のおかげ…いやきっとそうに違いない。
Blogにアップしようと思ってその時の動画を見つけた。

そこに残されていたのは何を演奏しようとしているのか
さっぱり分からない演奏だった。

お牛殿を侮辱しているとしか思えない演奏だった。
まずはフロアに向かって敬意を示すことや。
2016年川上腕を磨きます。動物的に強くなります。

こんな所で決意表明する事になるとは。
牛さんに感謝。
いつの日かまたリベンジしたい。

残り少ない牛さん達にさよならを告げた我々は厚岸へ到着。
牡蠣を暖めたり醤油かけてみたりレモン絞ってみたり飽きるまで牡蠣を剥いた。

そして枚方のシューマッハ及びサイコパスでお母さん想いの火力の強い
手羽先さんと別れの時が来た。

”生きのびて、また大阪で逢いましょう”

そんな言葉を交わした様な気がする。
紛れもなくこの時世界は我々を中心に回っていた(多分迷っていた)

固い握手を交わし、抱き合い(この辺りの記憶は曖昧)
私は北海道を西へと走りだした。
他のルートを通ることも考えたけれど
どうしても帯広の事が忘れられなかった私。

その時の私は大いなる”食欲”に支配されていました。
しかし、行く先には食欲も吹っ飛ぶ様な旅の醍醐味が待っていたのでした。

つづく。













2016年1月21日

[]旅は徒然] epi 9.5 ここまでのマトメ

去年の春から始めた、私のBlog版トラベラーズノート
”旅は徒然”シリーズも第10回を迎えようとしています。

Blogのネタがなくなったときのセーフティネット及び自分の記憶の整理と定着化(原付で北海道行ってました。とか車でアメリカ大陸横断しました。と飲み屋で言ったりして食いつかれたものの色々あり過ぎてどこから話したらいいのか分からない。という事が多くて悔しかった!!)を目的としたシリーズでしたが、自分で読み返して楽しんだり、スマホしか持って無くてとてつもなく暇なときに軽く4時間は時間が飛ぶように過ぎて、尚且つ記事を溜めれるのです。フリックし過ぎて指が動かなくなりますけど!ああラップトップ欲しい!

少し脱線しましたが、第10回を更新する前に少しこれまでの経緯をマトメてみたいと思います。

・旅は徒然 epi 0

かっこつけてる(つもり)の予告編的記事

・旅は徒然 epi 1 新たなる希望

帽子探してニューオリンズ

・旅は徒然 epi 2 Araiの逆襲

ヘルメット→原付免許(NEW!!)→バイク探し

・旅は徒然 epi 3 カブの帰還 

原付≒路上行脚の足

・旅は徒然 epi 4 大いなる助走

名古屋編その1 いきなり迷子

・旅は徒然 epi 5 顔の表情が面白いとたまに言われる。小学校の文集に変顔をするな。1年4組一同という(長いので以下略

名古屋編その2 方向音痴

・旅は徒然 epi 5.5 携行と対策

北海道編序章 旅の持ち物

・旅は徒然 epi 6 舞鶴〜小樽 まだ始まってもいない。

北海道編その1 フェリーまで

・旅は徒然 epi 7 枚方のシューマッハとライダーハウス小樽

北海道編その2 手羽先さんと小樽

・旅は徒然 epi 8 頑張れゴエモン珍道中

北海道編その3 手羽先さんと富良野

・旅は徒然 epi 9 偽りのシティボーイズ ~雨の釧路 人生色々親子関係~

北海道編その4 手羽先さんと帯広スイーツ


最初からアクセル全開で話の内容を膨らませすぎて、自分の頭の中の源泉が渇水し始めたのを第9回更新時に感じましたが、このシリーズの重要なファクターである手羽先さんの偉業(僕はほとんどついていっただけ)を全世界にあますことなく公開するまでは死んでも死にきれませんので、またまた懲りずにやっていきたいと思います。本年もじんわり時間を進めていきます。

お付き合い頂ければ幸いです。では引き続き長文の好きな方はお楽しみくださいませ。




2016年1月7日

旅は徒然 epi 9 偽りのシティボーイズ~雨の釧路 人生色々親子関係~




疲れた頭には糖分が効きます
疲れた体には焼肉が効きます

というわけで、ジンギスカンと幻のスイーツを求めて帯広を目指した我々。
辿り着きました肉の花園 "平和園" ジンギスカンセット¥540 生ビールは¥160
ふるえるぞコストパフォーマンス!燃えつきるほどうまい!おおおっ刻むぞ血液のビート
という訳で堪能しまして

続きましておやつ。写真の店であります。
 マルセイバターサンドで有名な六花堂の帯広本店

賞味期限3時間のサクサクパイ¥160(30分のショートケーキがあった様な気がするのだけど、記憶違いなんだろうか)そしてコーヒーがおかわり自由(以前は無料だったらしい)

もう、コストパフォーマンスってなんやー!!うひょー!!文明開化!などと、ススまみれの男2人で騒いでおりましたら、まわりは帯広のマドモアゼルばかりだったのでシティボーイを気取って携帯で頭の良さそうな会話をしている手羽先さん。(写真)

ここは天竺か桃源郷か。きっとここが人生の終着駅。
すぐさま帯広の家賃相場を調べた。

帯広は温泉でも有名。しかし今晩は釧路の宿を予約していたので、早急に足湯で帯広の湯を味わいまして、一路釧路へ。

元漁師の親父が運営しているライダーハウス
1000円で海鮮フルコースを頂きました。ディナーは宿泊しているライダーと相席スタイル。賑やかな晩餐となりました。

そして寝床も相部屋。そこで少し強面のおやっさんと相部屋に。
聞けば東京の社長さん。母親と喧嘩して何十年も連絡を取っていないというおやっさんと、毎晩欠かさずお母さんと連絡を取り合っているアットホームな手羽先さんはしばらく真剣にやり取りをしていた。とりあえず買い出し行くか!とおやっさん。近くのセブンイレブンへ。買いたいもん買えよ!とおやっさん。おつまみやウイスキーを買い物かごへ。てっきり奢ってくれるもんやと思ってたら…割り勘!!!

手羽先さんは酔っ払いながらずっとおやっさんに、母親は大事にせなあかんねん。と力説していた。様な気がする。僕は尻目に就寝。人生色々やね。釧路の夜はふけていった。


つづく







2015年11月10日

旅は徒然 epi8 頑張れゴエモン珍道中





小樽を出発し東の果てを目指した手羽先さんと私。

僕らの前に現れた標識には、あの"北の国から"で有名な地名が書かれていた。

そこへ行けばキツネを口笛で呼べるかもしれない…

雨に撃たれながら山頂でエンスト 坂道をそのまま引き返した先に辛うじてガソスタあり助かる。キツネ…これはキツネを口笛で呼ぶ為のイントロダクション…などと訳のわからない事を呟きながら50ccで駆けたのちに僕らの前に現れたのは

"ゴエモン風呂あります"と書かれた看板だった。

ラベンダー畑あります。スルー
こちら北の国から所縁の地。スルー
こちらメロン!おいしいよ! スルー

"観光施設"という名の数々のアリ地獄には一切目もくれなかった私たちも、その看板には自然と引き寄せられた。私は幼少の頃から田中邦衛ばりに薪を割ってみたかった。風呂が沸いたよぉぉと口をすぼめて言ってみたかった。ゴエモン風呂に浸かりながらキツネ呼ぶんやでっ!!!

とは言ったもののよく考えてみたら私は北の国からを見たことがなかった。

動くか動かないか絶妙なブランコ、使えるのか使えないのか絶妙な炊事場、遭難した時に逃げ込んで4人居たはずなのに夜中に1人増えそうな小屋、そんな風情ある広場を進むと、うず高く積まれた薪(少し湿っている)が。さらにその先には目隠し。男湯、女湯と書かれた看板。

きっとこの先にアレがあるに違いない。
中に入ると4基のゴエモン風呂。
そこにはあった。

軽く蜘蛛の巣が張っていた。

引き返す。

外に出ると、何やら屈強なオヤジが立っていた。長物を持っていたような気がする。ロードムービーにありがちな、誰構わずショットガンをぶっ放すオヤジに見えて思わず身構えた。なんとか怪しいものではない旨を伝えようとした。ガソリンスタンドを探していたらココにたどり着きました。我々は道に迷った哀れなバイカーだ。と

我々の善意と一寸の曇りもない心がオヤジに伝わったのか

ちょっと北に行けばスタンドあるよ。
宿が無いなら泊まっていけば良いよ。そこに小屋もあるから。ゴエモン風呂もあるし。笑顔はなかった。

オヤジのギャップと優しさに(笑顔はなかった)、丁寧にお礼を伝え、先を急ぐのでもしかしたら先に進むかもしれませんが、戻れそうだったら戻ってきます。とりあえずガソリンスタンド行ってきますと伝えた。

ちょっと行った。

目の前は完全に山道しかなかった。
通行人(これまた屈強な兄貴が馬鹿でかいトラクターの側で作業をしていた) に、この先にガソスタあるって聞いたんですけど、ほんまにあるんすかねー?と問うた。

ちょっと行けばあるよ。と言われた。

ちょっと行くと砂利道が段々と山道に変わり、更にちょっと行くと、そこは見渡す限りのジュラシックパーク(シダ科の植物に覆い尽くされた獣道、具体的なシーンで言う所のロストワールドでラプトルに追いかけられる場面で出てくるジャングル)だった。30分かそこらジュラシックパークを原付で走り、やっとの事でガソリンスタンドに辿り着いた。

北海道人のちょっとは僕らのちょっとと少し尺度が違うようだ。

帰る頃には日が落ちかけていた。先に進むのは諦めてゴエモン風呂に帰ろう。面白そうやし。あの親父さん意外と優しそうやったし。こんな時間に帰ったら"母屋に泊まっていきんさい。今日は採れたてのイノシシがおるけん"みたいな事になるはずちゃん。これまでの私達の引きの強さから言えば。邪念と打算的な考えに我々の頭は支配されていた。

ジュラシックパークにはもうコリゴリだった。振動により膝が笑っていたので、アスファルトの道を辿る事にした。途中スーパーがあったので食材を買い出し。猪を頂くのに流石に手ぶらではアカンと、野菜を買い込む。完全に僕らの舌は図々しく根拠のないイノシシ鍋に支配されていた。

アスファルトの道はジュラシックパークの更に倍の時間がかかった。北海道人のちょっとはもう舐めない。と心に誓う。

ゴエモン風呂に到着する頃にはすっかり日が落ちていた。

しかし何はともあれゴエモン風呂である。

親父さんから許可は頂いた。
沸かそうと試みた。

薪は湿っていた。が、手羽先さん曰く。焚き火はライフワークとの事だった。

キャンプファイアー手羽先さんの手に掛かれば湿った薪でもイチコロさ。ハートに火をつけるぜ。君の瞳をロックオン。そんな歌を歌っていたような気がする。

いい感じの焚き火が出来上がったので、ゴエモン風呂に水を入れた。焼け石に水。

しかしどんどん火が小さくなる。

ゴエモン風呂にヒビが入っていて、漏れた水がファイアーに直撃していたらしい。僕達は湯気と煙と焦燥感に包まれた。

ゴエモン風呂2号へ的を絞った。

また一からやり直し。しかしながらキャンプファイアー手羽先さんの手にかかれば湿った薪でもイチコロさ。ハートに火をつけるぜ。君の瞳をロックオン。何度でも何度でも。そんな歌を歌っていたような気がする。

ゴエモン風呂が沸いた頃にはもう辺りは完全に真っ暗だった。

ヘッドランプを装着の上20代半ばの男2人五右衛門風呂に入水。所々水だった。

火よ!火が必要よ!素っ裸でRE:ファイヤー

今度は熱い。水よ!水が必要よ!ホースで水を足す。なんとかぬるま湯まで漕ぎ着けた我々。再び入水。

湯気にまみれたヘッドランプの明かりがサーチライトみたいでかっこいいね!
バッドマンー!!とかなんとか、はしゃいでた様な記憶。

いつ横の暗闇から熊が飛び出してくるのかという不安もあったが、もうどうでもよかった。キツネの事はすっかり忘れていた。

入水を済ませた我々は野菜鍋を頂いた。

こう旅をしてるとね、生の豆腐の奥にある大豆感が物凄く体に染みるのですよ。みたいな謎の名言を手羽先さんは残しながら夜は更けていった。

朝

とんでもなく五右衛門風呂が適温になっていた。快晴。パーフェクトな朝風呂済ませて、一路帯広へ。


























2015年10月20日

旅は徒然 epi 7 枚方のシューマッハとライダーハウス小樽



2013年8月17日 フェリーで小樽に降り立った私。日本縦断中のGt手羽先さんと合流した。
写真の男だ。

自らが枚方のシューマッハであると名乗った後、呆気にとられた僕に向かって彼は続けざまに言った。"ご安心下さい。北海道は既に私の庭です。"

案の定、枚方のシューマッハはミハエルばりのドライビングテクニックでどんどん小さくなっていった。ジョークにしか聞こえないような事でも有言実行に移すシューマッハさん。取りあえず彼の発言はどんな奇想天外な事でも一旦鵜呑みにすべきだ。そう僕は心に誓った。そんな彼を追いかける原付免許取得間も無いワタクシ。どんどん小さくなるシューマッハについていくのがやっとで、ここが北海道である事、北の大地を踏みしめる余裕、などは一切与えてはくれなかった。”呑気に景色を楽しんでたりしたら喰われますから。死にますから。時間や世間に世界に”とでも背中で語っていたかのようなシューマッハの背中を追いかけ雨のデスロードを進み到着した先は
その名も、”ライダーハウス小樽”

その名前が発する神々しいまでの昭和レトロ感とは裏腹に、ハウスは活気に満ちあふれていた。聞く所によると今年(2013年)オープンしたニューカマーらしい。
小樽に新風を巻き起こしている…かどうかまで私は知らない。

到着した玄関先にて”バイクはそこに留めておくといいからネー”と、半裸のおやっさんが目の前に現れた。そのおやっさんこそが、ここライダーハウスおたるの主であった。部屋に入ると、主のおやっさんと盃を交わした同じ様に”できあがった”おやっさん達。部屋の真ん中にビニールシートが拡げられその上に雑多と並んだ北海道的酒の肴。完成形のおやっさんさんたちと旨い酒と上手いアテをつつきながらダラダラ喋るという素敵すぎる空間だったが、西成の集会と言われても違和感はなかった。後で聞いた話によると僕らが居た部屋の上に”普通の人達”が泊まる部屋があるとの事だった。そういえば翌朝起きるとごくごく真面目そうな旅人とたくさんすれ違った。おやっさんの裁量で部屋分けされていたらしい。いつのまにか、線引きを受けて僕達は”普通の人達”とは別のカテゴリに分けられていたのだった。臨むところではあった。

ライダーハウスという施設は基本的にバイカー及び自転車の旅人(チャリダーとも言う。)にのみ宿泊を許す簡易宿泊施設を指すらしい。徒歩の旅人や、サークルで遠征している学生さんが利用している施設もあったので多少は融通が効くのかもしれない。一泊平均1500円程度。基本的に相部屋で寝袋と銀マットを持ち込むスタイルなので、生きた情報交換がとても捗る。

…シューマッハさんはというとカバンからイカ等の魚介類を取り出していた。どうやらおつかいを頼まれていたらしい。そのコミュニティに溶け込む力は何処から沸いてくるのか私にとって謎でしかなかった。原付日本一周はダテでは無かった。

シュー君はその魚介類達を捌きに台所へ。自己紹介もそこそこに宴会の続きが始まった。出会ったばかりの大人達が和気あいあいとまるで修学旅行。道中自慢に始まり旅の事人生観の事。娑婆のことなどを口にするのは酔狂ですよ。という雰囲気。何もかもが素敵で、バイク旅とはこの様に最高なものなのか。私の知らない世界。来て良かった。と噛みしめていた僕をよそに、シュー君は大阪を発ってからまともな屋根のある所で寝るのが初めてである事をひたすら強調していた。原付日本一周はダテでは無かった。よく見るとメガネがガムテープで修復してあった。…ダテじゃなかった…

そしてビニールシートの上に並べられたごちそうを私も頂く。

自転車で旅する小粋なおやっさん。バイクで旅するええ歳してカッコつけたおやっさん。人生の、旅の先輩方にオモロイ話をたくさん聞かせて頂きました。



ライダーハウス おたる にて
奥の裸の親父がオーナーさん。僕にとっての第一北海道人
素晴らしい人達に囲まれ色々ごちそうを頂く。
ライダーハウスがこんなに面白い場所やとは思いませんでした。
大人の修学旅行。学生のそれと違うのは、皆疲れ切っているので、寝るのが超早い。起きるのも早い。気付いたら居ない。この気軽さが良い。ほんま一期一会。素敵。(Facebookより)



ご馳走を頂いたお礼の気持ち、出会いへの感謝の気持ちを胸に、即席ライブをやらせてもらった。
音楽で更に打ち解ける。
おおげさでもなんでもなくその場に居た人達の心をがっしり繋いだ気がした。
年齢も職業も人となりも全部垣根を取っ払って、”旅をしている”
その一点だけが同じで人々が平行線上に並んでいた。
酒と音楽と北海道の味に舌鼓を打ち夜は更けていく。
What A Wonderful World

朝目覚めるともう既に何人かは旅立った後だった。この潔さがまた気持ちいい。出会いと別れ。ライダーハウスのおやっさんには帰阪する際、もう一度必ず寄って挨拶して帰ります。と伝えて私と手羽先さんは道東目指して出発した。

つづく。








2015年9月29日

旅は徒然 epi 6 舞鶴〜小樽 まだ始まってもいない。






2013年8月16日 終戦の翌日、北の大地へ出発。

写真は舞鶴への道中で出会ったカフェ

舞鶴経由しフェリーで小樽へ(24時間)

全日本原チャリ走行の終盤に差し掛かっていたGt手羽先さんと小樽で合流する予定だった。

舞鶴に到着し(ここまで大阪から5時間)フェリー乗船時、ミス舞鶴に選ばれた(本人は恥ずかしそうに無理矢理ですよと弁解していたような気がする。心なしか大学生時代よりオシャレになっており自信に満ち溢れな様子が眩しかったけども。)大学の後輩ちゃんに見送られるという貴重な経験をした。気分はさながら出征兵士。後輩ちゃんは自衛官。

入船待ちの列へ並んだ。前のバイクは屋根のついたBMWだった。バイクにもBMWがある事をこの時初めて知った。フェリーの乗船時に突きつけられた圧倒的な格差。カブの後ろにコーナンで買ったコンテナを積み雨よけのビニールシートを被せていた私は強く生きよう雑草の様に。と頭に巻いていたタオルを巻き直した。

後続車もヘビー級だった。戦車の間に挟まれたチャリンコの気分。ギブミーチョコレートとでもさけんでみようかしらん。しかしまてよ。熊に襲われたら最初にやられるのは僕みたいな人間なのだ。北海道をカブで旅行中の自称ミュージシャンが熊に襲われ死亡。それだけは避けたい。しかしながら、非暴力の精神でこれまで生きてきたワタクシ。余計な武器を持つから使いたくなるのだ。熊がきたら逃げる事だけ考えよう。しかし時速30kmのワタクシに対してヒグマの走行速度は60km。マズイ。非暴力の精神を捨てる時が来たのかもしれない。私の頭の中の憲法9条は自分国国民投票で破棄される方に可決されようとしていた。BMWの親父は圧倒的な金の力で熊から逃げるのだろう。

しかしながらその様な悩みはすぐに消えた。私の頭の中に気付き上げられつつあった北の大地に対する誇大かもしれない妄想は、"夏休み" "大学生" "サークル活動" "群集心理" "思い出作り" というキーワードが殴り書きされた壁の前にガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

そう。ここはフェリーの三等客室。
大学生のサークルに囲まれたワタクシ。

打ちひしがれ甲板に逃げたがそこでも別の大学生の群れが輪をなし、大富豪をしていた。震えた。

"ゴースト"ニューヨークの地縛霊
犬と私の十の約束などが船内で上映されていたので、嗚咽を飛ばす等といった行為に及んでいたら24時間もあっという間。

水平線上に大陸が見えた。
船内に戻るとテレビ画面に北海道のローカルニュースが映っていた。台風がやってきます。高波に注意しましょう。アナウンサーの言葉が頭に響いた。

多くの不安を胸に船を降りたワタクシ
そこで待っていたのはボロボロのYAMAHAのビーノに跨りギターを股に挟み荷台にビニール袋でよく分からない荷物を括り付けた手羽先さんの姿だった。開口一番…

"どうも枚方(東大阪)のシューマッハです"

…BMW、大学生、台風等に怯えていた自分が心底バカらしくなった。一番危険なのは間違いなく目の前に居るこの男である。

しかしこの旅を無事に終える事が出来たら確実に強くなれる。強く生きよう。強く。固く決意した私はカブのハンドルを握った。動揺してクラッチを踏み忘れた。20代後半にして初の免許取得から3ヶ月、遂に私は北の大地を走り始めた。

つづく。



















2015年6月10日

旅は徒然 epi5.5 携行と対策



”俺がツーリング好きなの知ってて!”(あんまり知らん)

”旅行行くの好きなのしってて!”(これもあんまり知らん)

”なんで誘ってくれへんのー!!怒”(悪意は無い)


2013年の夏休みA.K.A."方々に頭を下げてライブを断って作った夏の休み"に当時の同居人であったFFBB 元リーダーの小言A.K.A."ぼやき"を聞きながら、潰れかけのYAMAHAビーノにて日本一周を試みていたYuta Kashimoto A.K.A."手羽先さん"の全面協力のもと、北海道でカブに乗って熊と闘う準備を進めていたワタクシ。

当時のtweetを見直していたら装備品リストを公開していたのでまとめて引っ張ってきた。

寝袋1

主な宿泊先はライダーハウスと呼ばれる簡易宿泊施設を辿る予定だった。ハウスにはベッドがないので、寝袋を持参しないといけなかった。万が一山で立ち往生した場合でも寝袋があれば安心だ。

マット1

寝袋を固い地面に置いて使用すると腰が痛い。安旅行だといっても少しでも快適な睡眠環境を。これさえあれば地球何処でもスイートルーム

コンテナ1

カブを購入した一番の動機がバイクのお尻に色々積める事。コーナンで購入。

熊除けの鈴0

随分考えた。現地に行って考える方がいいと判断。本当に鈴が必要な環境なら、きっとその辺のコンビニにも売っている位ポピュラーなもののはずだ

催涙スプレー0

一瞬考えた。でもやっぱり出来れば余計な血は見たくないから武器は持たない。何か持ってしまうから身構えてしまうのです。人間の常です。手ぶらでいく事にする。

固定の為のゴム紐3本

コンテナをキャリアに固定する為の物
地面に固定された棒がある所ではストレッチにも使える。

荷物固定ゴムネット1

と、コンテナの上に荷物をまとめる事が出来る網状の物。スイカを運ぶ際にも便利。

水陸両用靴1

夏だったので川遊びや海水浴が出来ると思ったけれど、本州でチロッと川遊びが出来ただけだった。釧路で漸く浜辺に到着したが、波が東映のOPシーンばりに高くてそれどころではなかった。気温も冬だったし。ただ、水道で足を洗ってリフレッシュする事、靴下が要らない、スリッパの代わりにもなる点で、かなり重宝した。これ一足で色々事足りる。ただ派手なので少し恥ずかしい。

クラリネット1

サックスを持って行くことも考えたが、菩薩観音スタイルでサックスを運ぶには少々荷が重かったし、宴会や宿泊施設で、親睦を深めるのにクラリネット位の大きさがとてもフィットした。もう少し時間に余裕があればストリートとかもしてみたかった。

一眼レフ1

一応持って行ったもののやはりiPhone位が丁度よかったなと思う。次カメラを用意するならiPhoneに装着するタイプのレンズを用意したい。

iPad1

フェリーで24時間暇だったのと、自己紹介用の動画を入れて行ったが、特に活用はしなかった。

iPhone1

これさえあれば、目的地に辿り着く、連絡をとる、音楽を聴く、録音する、メトロノーム、チューナー、楽譜、動画を撮る、映画を見る、漫画を読む、小説を読む、Blogを更新する(NOW!)、有る程度通訳に使える、各種SNS投稿、ほんまよー考えたら凄いツール。

エネループ1

iPhoneのエンジン

虫除けスプレー1

北海道には蚊がいなかった。様な気がする。ただ、蛾が多かった。ヘルメットの前を開けて運転していて、5cm位の蛾が飛び込んで来た時はほんと死ぬかと思った。虫除けスプレーなんか意味ないし。

マキロン1

特に怪我することもなかったが、持ってるだけで安心だった。

絆創膏1箱

応急セットは自分だけじゃなくて人のために持ってた方が良さげ。ちょっとした擦り傷でも信頼築ける。かと言って人をあてにしてはいけない。


常備薬セット

同上

洗濯ロープ1

一回使ったかな、、まあかさ張らないし持ってても、、という感じ。ニューオリンズ滞在した時はベランダがなかったので重宝した。乾燥も防げた。、、この頃はまだコインランドリーの便利さをあまりよく理解してなかった。

洗濯ばさみ 少量

同行した手羽先さんはこれでミラーにパンツを干してた。やるなあと思った。

FFBB CD

何枚か北海道に置いて来た。こういうのがあると話題に困らない。

Heartful★Funksステッカー

同上。大阪帰ったらこのバンドで24時間テレビのイベントに出るんすよ〜見てね!って大きな事言った割に、現場着いたらファンキーダイナマイツになっとるし、カメラはおらんしで憤慨。

ステテコ4

これがなかったら私の夏は地獄

速乾性の肌着4

最近はすぐ汗臭くなるので、厚手のTシャツに戻ろうかなとも思うけど、取り扱いはこのシャツの右に出るものがない。

Tシャツ3

P01Teeは何処に行っても好評。凄いです。

手ぬぐい3

これ一枚で川遊び、銭湯巡り、寝癖ごまかし、アイマスク、突然頂いた蜜柑の梱包までなんでもこなせます。

だんじりタオル1

手ぬぐいの補助に。泉州タオルは優秀であります。

爪切り1

何はともあれ手先は清潔に。

トランプ一組

使わなかった。トランプ位で繋ぎとめる程の友情は北海道には転がっていなかった。トランプなんかなくても自然に魂で繋がります。

充電関係

タップもあればよかったです。

腕時計1

ないと手首が不安になります。只今紛失中。

メガネ1

出来れば2個用意しておきたい。人生には思いもしない事故がある。大事な物は2コ持っておくべきだ。

家のカギ1

ないと帰れない。一昨日帰れなかった。

ヘルメット1

ないと運転出来ない。

くるぶし靴下1

靴下一足で乗り切れました。

携帯用スリッパ1

こんなもん使うやつはセレブやで。

耳栓1

こんなもん使うやつはセレブやで、といいつつ知らないおじさんと隣り合わせで寝る事もあり、イビキが怪獣みたいなおじさんと一緒になった時使いました。

煙草5

巻き系とかじゃない限り現地調達で充分でした。喫煙は心の日曜日…

歯ブラシ1

何はともあれお口は清潔に

リップクリーム1

何はともあれお口は清潔に

ジャージ1

お腹冷えるからステテコだけだと不安

冬用のダウン1

北海道東部ではずっと来てました。夏といえども北海道は北海道。

カッパ1

ダウンの上にカッパで釧路の方は丁度良かったです。

ビニールシート1

雨でもこれさえあれば大丈夫。
なんぼ用意しても現地に行ったら必要な物出てくる。
使えへんものが絶対出てくるのは旅の常。
手袋とヘッドライトを現地のホームセンターで購入した。
それでもリストを作って準備するのは楽しいのです。

次回はフェリー捕まえ舞鶴へ。








2015年5月14日

旅は徒然。epi 5 顔の表情が面白いとたまに言われる。小学校の文集に、変顔をするな。1年4組一同というのをさっき見つけた。そんなつもりはないけど写真で自分の顔を見たら確かに面白い顔をしているなぁと最近たまに思う。というわけで名古屋編完結です。


前回。ビクトリーロード(名阪国道)を横目に脇道に入っていったワタクシ。
果たして無事に名古屋までたどり着けたのでしょうか。

名阪国道は125cc以下通行禁止と表記されていたので素直にそれに従い脇道に入った。どうやらここは国道25号線というらしい。国道だったら安心よね。これって天王寺辺りから伸びてる奴なんかな〜むしろ八尾とかまわらずに、天王寺まで一旦出てから25号線通ってきたらよかったんかいな〜もうちょっと地図を見るべきだったね〜ふんふん〜次からはそうしよ〜。

浮かれていた。

国道というものは最低2車線、時には3車線。しっかりとアスファルトで整備された走りやすい道だとこの時まで思い込んでいた。実家の近所に国道26号線なんてものも通っていてそれは交通量の比較的多い道だった。25と26。一個違いで偉い違いだった。そもそもこんな山の中で3車線も必要な訳がないじゃないか。初めての時速30km、長旅(ここまでで既に3時間は走りっぱなしだった)で私の脳みそにはかなり蛆が沸いていたらしい。

今思い返せば、自分が通っていた道程は所謂”酷道”(国道の癖に酷い状態の道を指した揶揄的な表現)ではなかったのかななんて思ったので調べてみたらやはりそうだった。

非名阪[編集]

亀山 - 天理間には、整備された名阪国道が走る一方で、これに並走する旧道も依然国道25号として存在している。この亀山 - 天理間の旧道は三重県と奈良県が管理しているが、並行する名阪国道は勿論のこと周辺の県道と比べても非常に管理が貧弱である。旧一級国道では改良対象に十分なり得る急カーブや、離合困難な狭部箇所も多く残っている。特にJR関西本線と平行して走る加太付近の区間は、採石場に出入りする車両が頻繁に往来するために鋪装が剥がれており、「二桁なのにダートの酷道」として有名である。この区間は、名阪国道ではない国道25号という意味で「非名阪」と呼ばれているほか、酷道であるという意味で「名阪酷道」とも呼ばれている。
この区間は1962年3月の名阪国道制定に伴い、1962年5月に国道25号に編入された。1965年12月には名阪国道が開通しているため、この区間は国道編入から僅か3年半で現道から旧道となった。
wikipediaより抜粋。

そんな訳でダートなヘアピンカーブを免許取得間もない私が、カブにコンテナつけた状態(前回写真参照の事)でさらにその上にはBAMのリュック型ケースにアルトサックスを入れた状態で走っていた。コンテナの上にBAMのリュック型ケースを載せると、普段は腰の位置くらいまで落ちているケースがコンテナの高さぶん40センチほど浮き上がる格好になる。すると自然に肩紐の部分が余る。前から見たら菩薩観音の後ろにある奴みたいな、良く言えば後光が指しているような、悪く言えば、刑務所で電気椅子に座っている死刑囚の様な格好になりながら走っていた。心情的に間違いなくこの時の自分は電気椅子に座った死刑囚であった。

そしてワタクシは極度の方向音痴だ。

高校生の頃、梅田のドルチェ楽器にソプラノサックスのマウスピースを買いに行こうとして4時間弱路頭に迷い、交番等に立ち寄り地図で道を示されるも結局辿り着かず、諦めて家に帰ったりした事。尼崎のアルカイックホールと伊丹のアイフォニックホールを間違えて、演奏会の時間に辿り着いた場所は伊丹空港だった事。中々一筋縄ではいかない人生を歩んできた。

そんな訳で案の定、国道25号線を走っていたつもりが、いつの間にかハイキングロードに入っていた。何故ハイキングロードか分かったかというと、標識にハイキングロードと書かれていたからである。方向音痴でもそれくらいは分かったが、ハイキングロードというよりは、完全に獣道だった。こうなってくるともう写真を撮っている余裕などなかった。水たまり。砂利道。急な勾配のハイキングロードを抜けた先は田んぼだった。おっちゃんがトラクターで田んぼの整備かなんかをしている横を菩薩観音の死刑囚がすり抜けていった。完全に農道だったが安心感ったらなかった。おっちゃんを抱きしめたくなるくらい人恋しかったが、まだこの時の僕は引き籠もり体質を引きずっていた。

田んぼを抜けると三重県だった。冒頭の写真はその時余りに嬉しくって写真を撮る元気が沸いた瞬間を記録している。写真を撮る元気までは出た物の目は死んでいる。

伊賀を越え四日市を越え名古屋に到着した時、日はすっかり落ちていたものの目的地だった一宮の真清田神社に到着した。

到着した。

到着した次の事をこの瞬間まで考えていなかった。なぜなら、コンテナには、ニッシーのテントと寝袋が入っていた。”これさえあったら無敵よ”と言われていた。僕には”それ”をする勇気はまだなかった。チキって近所のビジネスホテルに宿泊した。ネカフェでも探そうかと思ったが、そんな余裕はなかった。電車代より高くついた。コンテナを積んでいたがコンテナの中の物には一切手をつけなかった。電気椅子しただけだった。

GW中だったので何処も一杯だったが、たまたま空いていたええ感じに年季の入ったビジネスホテルに落ち着く。荷物をほっぽり出して、腹ぺこだったので何か食べる店はないかと付近を散策したが居酒屋しかなかった。普段一人吞みなんて滅多にしない。けれど、まぁたまには。と思った。一軒よさげな居酒屋を見つけた。生ビール、チャンジャ、親子丼を注文した。自分でもよく覚えているなぁと思う。旨かった。一人夜中の一宮を散策していた。知り合いが居るわけでも無い。知らない街。自由。束縛もない。10時間ほど運転していた。硬直した体にアルコールが入り、ほろ酔い気分で夜風に当たる。最高だった。一宮の街もほどよくレトロでええ感じだった。気分はまるで三文小説の主人公だった。引き籠もり体質は抜けきっていなかったので特に出会いはなかった。

遠出の味をしめた僕はその夏北海道へ向かう。

次回。手羽先訪ねて三千里、目指すは津軽海峡夏模様
乞うご期待。


2015年5月13日

旅は徒然 epi 4 大いなる助走









@kawaminiが投稿した写真 -





琵琶湖のほとりに停めたカブを写真に撮った。

原付免許取り立ての頃のワタクシ。
時速30kmだろうと、ただただ走り続けていたくて。
時速30kmだろうと、どこまでも行けるような気がして。
この先琵琶湖という表示があったから素直にそれに従った。

カブを手に入れた直後、名古屋でライブがあった。
それまでは電車or大阪組の車に同乗という形を取っていた。
前後日の予定がフリーだったのでカブで行くことにした。
いつも車で名古屋行くとき3時間くらいだったっけ。じゃあ原付だったら倍の6時間くらいかな行けるじゃん。と軽い標準語ノリで決めた。怪獣映画冒頭によく出てくる死亡フラグ立ちまくり軽いノリの茶髪若い兄ちゃん的ポジションにその時の自分が立っていた事を知るのは原付を走らせて約5時間後の事であった。

レンジャーニッシーがコンテナを貸してくれた。寝袋とテントも。座布団を敷いた方がいいという事で座布団も。なんという親心。否ニッシー心。

初めての自走遠出。今思えば何を血迷ったか、Googleで経路検索して文字情報だけプリントアウトした物を持って出かけた。何々号線を右折、何km直進し何々号線を右折という紙に印刷されたGoogle先生の指示。原付免許取得間もなかった私。20代半ばで盗まれたクロスバイクで走り出される(家の前に置いていたクロスバイクが盗難にあった)までは、ちょろちょろと車道を走ることはあったものの、せいぜい堺市から淀川を越えるくらいの事しかしていなかった私にとって紙に印刷されたGoogle先生の指示は未知の言語で書かれた呪文でしかなかった。まず八尾の辺りで路頭に迷った。

紆余曲折を経てなんとか大阪を脱出出来そうだった。
奈良県。

この先名古屋。

おーー!!世の中って案外親切デスねー!!
意外と地図なんかなくってもいけるんデスねー。
日本大好きダケド道に迷った外国人が憑依した私はGoogle先生の指示を破り捨てた。

直後。

この先名古屋。但し125cc以下は通行禁止。

あーそういう事ですか。所詮原付。自転車に毛の生えた様な物。この時自分が交通弱者だった事を思い知った。

但し、そんな弱者にも優しい日本。ベーシックインカム(脇道)がきっと整っているはず。これまでだってずっとそうだったもの。人生脇道なんだなぁ。としみじみ勝者のみが通る事を許されたビクトリーロード(名阪国道)を横目に、わりと綺麗に整った脇道を選びながら、ビクトリーロードを辿っていったらいけるだろうと、楽観的な心持ちで、前に進んだのだが…

つづく









2015年4月13日

旅は徒然 epi 3 カブの帰還(帰ってないけど)









@kawaminiが投稿した写真 -





前回特大ヘルメットを見つけカブを購入するに至る経緯まで書いた。(epi 2 Araiの逆襲)何故自分がカブに乗ったのかという心象描写が全くなかった事に気付いたが、この辺りはまた回を改めて書くとして、まずは自分がカブを使って何をしていたかシンボリックな写真があったので、その辺りから書いていこうと思う。

カブを手に入れ生まれて初めて自分で動かすエンジンのついた乗り物を動かした。その便利さと快活さに歓喜し人類の叡智に恐れおののいた。自分が好きな小説の冒頭で、脇役の異星人が初めて地球にやって来た時、この惑星を支配しているのが自動車だと勘違いして、友好の気持ちを示そうと走っている車に向かって握手をしようと手を差し伸べたというエピソードを思い出した。空から地球を眺めると最も元気よく活動しているのはエンジンのついた乗り物なのだろう。ちなみに銀河ヒッチハイクという作品で、ここから自分は人生観や行動基準において物凄い影響を受けた。

話が脱線した。時速30kmで楽々移動出来る今の自分は人生の中で最も速く走っていた。高校生の頃誰よりも速くなりたい。と呟きながらサックスを吹いて周りの顰蹙をかっていた事を思い出した。時速30kmではあるが、私は気持ちの上でアンドロメダよりも速かった。例えトラックに煽られて脱輪しようとも、本気ロードバイクに追い抜かされようとも、二段階右折で乗り切った。

最初のうちは運転するのが気持ちよく台風が来ようとも何処に行くのもカブだった。乗り始めて色々な人に「カブにフルフェイスて」と言われる。世間的にカブにフルフェイスというのはアブノーマルな事なのだろうか。普段アブノーマルな人(アンバサダーニッシー)と一緒に住んでいたのでその辺りの感覚がおかしな事になっていたのだろうか。カブならベースドラムくらい運べるでしょうよと彼に言われてなんの疑問も持たなかった自分の感覚は狂っていたのだろうか。しかし、アンドロメダより速かった私はカブにベースドラムを載せる事が最高とはいかないまでにしてもある程度クールだと思っていた。このフォーメーションで頻繁にストリートニッシーと路上に出かけた。

部屋のノックが聞こえる。「ちょっとストリート行こうよ」が「ちょっとそこの醤油取ってくれへん?」と平行線上に並ぶ日常。なかなかバスクな生活を送っていたものだと思う。…今こうやって書き出してみるとアンバサダーニッシーが自分に原付の免許を取得させた真の目的はコレだったのかもしれない…

書いていたら無性に路上に繰り出したい欲求に駆られた。別のシリーズで路上行脚の事も書いていければなと思う。旅は徒然シリーズなのに全然旅立たないけれども、旅というのは準備している時が一番楽しい。ムダに前置きが長く続き中身少々オチつかないというのがこの様な振り返りBlogのスタンダードだと思うのでその辺り気をつけながらじっくり書いていこうと思う。

つづく

2015年4月9日

旅は徒然 epi 2 Araiの逆襲


@kawaminiが投稿した写真 -


2Pのボンバーマンが何を示すのかどれくらいの人に伝わるのだろうかという疑問が一瞬頭をよぎったが気にしない事にする。
ちなみにこれは黒のヘルメットで全身ユニクロである。
ちなみにちなみにもうこのカブは手元にない…

閑話休題

前回ヘルメットとニッシーの話を書くと言いながら帽子の話を延々と書いたが、
今日は本題に入りたいと思う。

FFBBリーダーニッシーが帰国後唐突にヘルメットを探す提案をしてくれた。

環太平洋的に(世界的にと書こうとしたものの、まだまだヨーロッパ圏を攻めてはいないので希望の火は消えていない)頭の形がおかしい事を突きつけられたそんな私の気持ちを察してかどうかは分からないが、突如としてニコニコニッシーならびにライダーニッシーが親分肌を見せアンバサダーニッシーと化した。アンバサダーニッシーは多少上から目線ではあるものの勘が鋭く物事の秩序を理解し我々を正しい方向へ導くのだ。

どうせ見つからないだろうと思いつつ期待半分でバイクショップへ向かった。

疑心暗鬼な私は店を一回りしてから店員に問うた。
「ここにあるヘルメットで一番大きいのはどれですか?」
出されたのはAraiのフルフェイス。入った。
技術大国日本のAraiである。Araiの逆襲である。
日本に生まれて良かったと、歓喜の余り小躍りした。
店員さんは苦笑いだった。日本人の店員さんは思った事を簡単には口には出さない。

ヘルメットが見つかった次の日に10代の若者に紛れて原付の免許を取りに行った。教官や担当職員が全員タメ口だった。最初のうちはタメ口きかれる度に驚いて10センチ位バックステップしていたがそれにも次第に慣れて、私のステップも段々と小粋になっていった様に思う。普段の私は年下でも初対面からしばらくは敬語が外せないが、ヘルメットが見つかった私は世界に認められた気になっていたので大丈夫だった。教習時、ウインカーを切り忘れていた私に横からタメ口で、さも以前から顔見知りの友達風に手助けをしてくれた金髪ピアスタトゥーの入った10代若者にも素直にありがとうと言える位、大人になっていた。

一人だけフルフェイスだったが浮いていないか(身体的に,周囲の人間から)どうかそれすらも気にならなかった。だって世界に認められているのだもの。

無事免許を取得し、今度はバイヤーニッシーから緑橋付近のバイク屋に50ccカブがお手頃価格で置いていたよという情報がもたらされる。人生で初めての運転免許に浮き足だっていた私はライダーニッシーの後ろにまたがり、緑橋のバイク屋に向かった。ニコニコ現金払いで緑の中古カブを購入したのだが…

つづく


2015年4月8日

旅は徒然 epi 1 新たなる希望


ヘルメットとの出会いだけを書くはずだったが、Free Flight Brass Bandのリーダーニッシーとニューオリンズへと行った時の事から書こうと思う。2015年の3月までルームシェアしていた彼と一つ屋根の下に住んでいた頃は近くに居すぎて、彼の事を書くのが億劫になっていた様な気がするが、現在彼は彼の地へスーザフォン担いで一ヶ月強の武者修行中なのだ。今以上遠く離れて、気楽にニコニコニッシーに関する事を書く機会はこの先そうそうないだろう。

2012年の春、私とFFBB”Tuba=ニコニコ”リーダー,ニッシーは共に初めてニューオリンズに行った…小学3年生の頃、大人用の帽子を卒業して以来サイズの合う帽子に出会っていない私はアメリカという国にでかい帽子とでかいグルーヴを求めていた。

あの国は懐と物のサイズがでかいのだと移民受け入れ体制もばっちりなのだと勝手な幻想を抱いていた私は初めての入国審査とトランジットで少しつまずくも、なんとか大陸に最初の一歩を踏み出した。アメリカンサイズの帽子をGetする事とライブへのシットインが今回の旅の目的だった。

sit inをshit inと聞き間違えられて爆笑されながらも、なんとか旅の目的であったライブへの飛び入りに成功した。次の日見に行ったライブをしていた人達が自分を見ていてくれてステージに呼ばれ…その次の日もまた次の日も…連鎖的にシットインしていった。現地の人達の懐の深さに泣いて喜んで浮かれていた。

そんな私だったが積年の想いが実り、念願のアメリカン帽子屋に訪れる事が出来た。
私は入店一番「このお店で一番大きな帽子はどれですか?」と店員に問うた。
店で一番でかい帽子を手に取った私はおもむろに試着しようとしたが…

「oh my god」

店員が呟いていた。私の頭の上に乗っかった帽子を見ながら。

彼の地でのニコニコニッシーの思い出を辿ろうにも彼の写真がないことに気付いた。
そういえば、私はiPhoneを日本を出発する直前に落としていたのである…
その他にも様々なトラブルがあったが、ニコニコニッシーの写真が見つかった時の為に取っておきたい…

帰国後、唐突にライダーニッシーが帽子はあきらめるとしても、ヘルメットぐらいは入るやつがあるのではないかと、ヘルメットを探しに出かける提案をしてくれたのだが…

つづく

2015年4月5日

旅は徒然 epi 0

@kawaminiが投稿した写真 -

生まれてこのかた頭がでかく、映画館で受け取った3Dメガネは破壊し、丁度いいサイズの帽子なんて夢のまた夢だった僕が、ギリギリ頭に入るヘルメットを見つけ、原付の免許を取得した事をきっかけに、ちょこちょこと旅に出る事になった。

数年前から突如として旅が好きなタイプの人間に属する事になったが、面白い体験を色々したはずなのに、この手の話題を上手く人に伝える事が出来なかった。

そんなにおしゃべりが得意でない僕にとって、ある程度推敲してBlogに書いたネタというのは、話すのが比較的楽だ。話のネタに出来る様に、その日ネタがなくなったときに写真と共にこれまでを追ってみたい。

もっと世界中に出かけたい。という想いも込めて。